2.3 目の前にある認識できないもの

おはようございます。珠川幸です。
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前回、概念や言葉は、もともと一つだったものを分類してしまうとお話しました。小さい子どもが「タイヤ」という言葉の習得したとき、もともと一つだった「車」は「タイヤ」と「車体」に分かれてしまいます。

ここで大切なことは、「タイヤ」を知る前も、「タイヤと呼ばれるようになったもの」は目の前に存在しているということです。しかし、この子は、それらをまとめて「車」と認識しているので、この子が「タイヤ」を認識することはできません。

目の前の世界には、存在はしているのに、認識できないものが莫大にあります。ぼくたちは、その莫大にある認識できないものを、今、目の前で、当たり前のように見ているのです。

これは子どもに限った話ではありません。ぼくも、このブログを読んでくれている皆さんも、同じように認識できる、ほんの僅かなものと、認識できない莫大なものを同時に見ています。

そこに違いがあるとしたら、境界線の量です。

認識できないものの量が莫大すぎて、いくら概念を増やしても、割合として莫大な認識できないものがあることは変わりません。それでも人は、成長とともに、その莫大な認識できないものを認識したくて、たくさん境界線を引きます。

30歳なら30年分の、60歳なら60年分の境界線があるのです。

話が進んできて、境界線という言葉では、ちょっと伝わりにくいかなと思いますので、次回、境界線の例を出しますね。楽しみにしていてください。

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