2.9 時間というフィクション

こんにちは。珠川幸です。
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前回、「認知革命」のおかげで、人類は存在しない虚構、つまりフィクションを共有し、生存率を高め繁栄したとお話しました。

250万年にわたり植物の採集と動物の狩猟が中心だった人類の生活は、約1万年前、農耕と牧畜を始め、定住生活に入ります。

このライフスタイルの変換を「農業革命」と言います。

農業が始まると「未来への不安」が人類の心に巣くうことにもなります。「その日暮らし」だった人類は「未来」というフィクションのために働くことになるのです。

『農業革命のせいで、未来は以前とは比べようもないほど重要になった。農耕民は未来を念頭に置き、未来のために働く必要があった。・・・不作の年は遅かれ早かれ、必ず訪れた。不作の年が来ないと決めつけて暮らしている農耕民は、長くは生きられなかった。』
ーサピエンス全史(上)P.131ー

長い時間、定住しないと季節の変化という概念は、目の前に現れません。寿命が1年に満たない生物だけでなく、冬眠をする動物や渡り鳥の一生にも「季節」は現れないのです。

そして、この「未来」や「過去」を、これまでリアリティをもって感じられるのは農耕を始めた人類だけなのです。

この「未来」や「過去」といった「時間」というフィクションは、私たちの生活の根本に根付いていて、赤ちゃんを除いた、全世界のほとんど全ての人々が共有しています。

1万年も前から続く「時間」というフィクションを暴くなんて容易なことではありません。しかし、本当は「未来」や「過去」はフィクション、つまり「今」の作り話なのです。

毎回になりますが、もちろん、それが何か悪いこと、というわけではありません。

人類の進化は、この後も、さらにフィクションを強めていきます。
次回を楽しみにしていてくださいね。

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