2.10 社会というフィクション

こんにちは。珠川幸です。
足を運んで頂き、有難うございます。
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前回、農業革命が「時間」というフィクションを作ったとお話ししました。農耕社会は、より大きな集団で土地や水を分け合って対立や紛争を防ぐため、さらに新しいフィクションを作ります。

社会科の授業で勉強した方も多くいると思いますが、国家や村、社会といった「想像上の秩序」というフィクションです。

社会を形成する全ては、単なる想像上のカテゴリーに過ぎませんが、区別した方が社会の仕組みはうまく回ります。しかし、その社会に属する人々が、本気でその想像上のカテゴリーを信じていないと始まりません。

『平等も権利も自由も、すべて人間の想像の中にしか存在しないフィクションである。だが、人々がこれらに基づく「想像上の秩序」を本気で信じているから社会は成り立っている。周りを見れば、そんなメッセージで世の中は溢れている。その結果、私たちは欲望すら「想像上の秩序」に基づいて抱くようになっているのである。』
ーまんがでわかるサピエンス全史の読み方ー

たしかに「社会」というフィクションのおかげで、生存率が上がり、多くの危険や不安から逃れることができました。

しかし、以前お話しした通り、境界線、サピエンス全史でいうフィクションは苦しみの原因です。想像上の秩序に重きを置き過ぎてしまうと、心と身体が蔑ろになってしまいます。

メガ盛り、テレビ番組、体を動かさない生活。これらは本当に、その身体が欲しているものなのでしょうか?

仕事、趣味、特技、経歴、ステータス、コミュニティ。これらは本当に、その心が欲しているものなのでしょうか?

もう一度、自分の心と身体に問うてみる必要がありそうですね。
次回を楽しみにしていてください。

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