2.12 消費者というフィクション

こんばんは。珠川幸です。
足を運んで頂き、有難うございます。
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初めての夜の更新となりました。年度末の学校の忙しさが、じわりじわりと来ています。「仕事をすると子どもや保護者、自分の家族が喜んでくれる」「多忙はどこかカッコいい」というのも、自分でこしらえた人生を彩るフィクションで、多くの苦しみも含んでいるのですが、どうも僕は、このフィクションのクセが強いようです。

このブログを読んでいる方も、そんな、ちょっとしたフィクションや境界線、こだわりがあるのではないでしょうか。

前回までに、「知識」というフィクションのおかげで科学が進化したところまでお話ししました。ここからは近代に入って、まさに今のお話です。

大きな争いが終わり、グローバルな世界となった今、私たちは、「国民」や「個人」そして「消費者」というフィクションを生きています。

『我々には、わからない。空が金で買えるだろうか?雨や風を独り占めできるだろうか?土地は地球の一部であり、我々は地球の一部であり、地球は我々の一部なのだ。』
ーシアトル酋長ー

ネイティブ・アメリカンのシアトル酋長の言葉にあるように、ネイティブ・アメリカンの方々には、自分のもの、あなたのもの、という所有の概念や個人の概念は気薄だったそうです。

私やあなたといった「個人」という概念のは、比較的新しい概念なのです。そして、さらに新しい概念は「消費者」という概念です。

『消費主義と国民主義は、膨大な数の見知らぬ人々が自分と同じコミュニティに帰属し、みなが同じ過去、同じ利益、同じ未来を共有していると、私たちに想像させようとしている。』
ーサピエンス全史(下)P.198 ー

「バレンタインデイには好きな人にチョコをあげ、クリスマスにはケーキを食べてプレゼントを買うものだ。」

「仕事は体力、知力、時間やストレスの対価として、お金を得るものだ。また、土日などのプライベートは、体力や知力を蓄え、ストレスを発散する時間で、そのためには、お金が必要だ。」

「いい大学に行き、いい企業に入り、どれだけお金を稼げるか、それが、その人のステータスになる。」

「消費者」というフィクションは、とても新しいフィクションなので、このフィクションを持っていない年代の方もいれば、このフィクションが弱い地域もあると思います。

「そんなの、テレビやお店が言っているだけだよ。」「いい大学入ったからって、いい大人になれるわけじゃないよ。」などと思う人も多いのではないでしょうか。

フィクションには「時間」「秩序」「知識」のように根強いものだけでなく、「国民」や「消費者」のように、そのフィクションに縛られず自由になれるものも多くあります。

何か一つでも、自分が持っていたフィクションを手放すことができれば、世界は変わっていきます。

みなさんも、いい気づきが必ずあります。
次回も楽しみにしていてください。

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