3.8 ブルーバードpart8

こんばんは。珠川幸です。
足を運んで頂き、有難うございます。
初めての方は0.ブログについてをご覧ください。

久し振りの更新です。学校の先生ならではの転勤、転居、さらに赤ちゃんまでできて、てんやわんやでした。

今日は、お利口さんに寝ててくれていたので、はれてブログの更新です。そのうち、育児ブログになるかもしれませんね。

ブルーバードの続きです。物語は終盤、「大秘宝」「諸悪の根源」「悟り」「自分とは何か」を求めてブルーバードの巣へ向かうところです。

『ブルーバード〜僕が僕から自由になると〜part8』

今回は、ビビアンの名前の由来について語られています。

第一子が誕生して、子どもの名前を考え、出生届を出し、服や布団、オムツを一から買ったりしたのですが、転勤、転居が重なったので、改めて、名前、衣食住、習慣、全てのものは後付けなんだなと思いました。

名前や所有物だけでなく、時間も元々あるのではなく、小学校1年生頃に身につけたものですし、夜に寝て朝おきる、お腹が空いたらご飯を食べる、という習慣も元々あるものではなく、0歳ごろに身につけたものなのです。

ものごごろついた時には、家や名前、服、食べるもの、朝起きて夜寝るなどの習慣が、もうすでにあって「こういうものだ」という感覚がありますが、それらは全て「こういう風にしておきましょう」と自分や周りの人が用意してくれたものなのです。

しかし、子どもの頃は、大人や先生は何かを知っていて、自分は、それを知らないと言う感覚があるので、そんなことは考えもしません。

この世に普遍的なもの絶対的なものはありません。「これまで身につけてきた習慣や記憶や定義」と「今の感覚」があるだけです。この「慣性」と「感性」の間で人間は苦しんだり喜んだりしています。「慣性」と「感性」があるから、泣いたり笑ったりできるのです。

それは決して悪いことではありません。学校の子どもや自分の赤ちゃんを見ていて、最近、一層そう思うのです。

次回を、楽しみにしていてください。

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