4.3 基本的な信頼

おはようございます。珠川幸です。
足を運んで頂き、有難うございます。

前回、心の成長の、それぞれの時期で幸せと感じる物差しが違います。と、お話しました。今回から一つずつ、その内容について お話できたらと思います。

まず、生まれてから1歳6ヶ月頃までの乳児期です。この時期の幸せの物差しは基本的信頼感、それが満たされないと不信感を感じてしまいます。

人は生まれる前、自分と他人という個もなく、ここからが木、ここからが川という概念もない空(くう)の存在でした。
「2.苦しみの原因」のカテゴリーでもお話しましたが、ぼくたちは目の前にただある空(くう)という真っ白いキャンパスに、沢山のフィクションで色をつけて今を見ています。しかし、生まれてすぐに、一つ目の、しかも、これから死ぬまで不可欠なフィクションを身につけます。

それは「信頼」というフィクションです。

これは動物特有のフィクションで、植物に信頼も不信もありません。咲いている花が「このミツバチは怪しい。こっちのミツバチは信頼できるぞ」だなんて感じません。
生まれたての赤ちゃんが、どうやってそれを身につけるかというと、もちろん、お母さんとのやりとりです。

赤ちゃんは授乳の際に吸っては休み、吸っては休みを繰り返します。しかし、実は休止を入れることは栄養摂取の面からは効率の悪いことで、哺乳動物の中で人間の赤ちゃんにだけ見られる現象なのです。

お母さんは、母乳をもっと飲んで欲しくて、揺すったり「もっと飲もうね」と自然と語りかけます。驚くことに、赤ちゃんはお母さんの働きかけを期待して休止を入れているのです。

お母さんから、こういった働きかけをもらえた赤ちゃんは、ミルクを飲む量や授乳の感覚が一定に落ち着き、働きかけを貰えなかった赤ちゃんは、信頼感を得るために、ミルクを飲む量や授乳の感覚が一定に落ち着かず、栄養の摂取や休息が不安定になってしまいます。

そんなやりとりを繰り返して、それまで、信頼も不信もない世界から、
信頼感という幸せの基準ができてしまいます。

幸せの基準ができてしまった赤ちゃんは、この基準が実は心地よくなく、「この世界は信頼できる」「この世界は信頼できないと」いう「信頼と不信」という2極を超えたところを目指して奮闘します。

もちろん他人からの協力が不可欠で、お母さんやお父さん、沢山の人からの愛情、アタッチメントを貰えて満足できると、「無条件で、家族や他人から愛されている感覚」という自己肯定感を身につけます。そうなって初めて、信頼も不信もない世界、つまり空(くう)の状態に戻れるのです。

そして、新たな幸せの基準が生まれていくいのですが、その話は次回にしますね。

次回を楽しみにしていてください。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です